|
カテゴリ
以前の記事
2012年 02月
2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
おすすめキーワード(PR)
ブログパーツ
最新の記事
ファン
|
TBSでドラマ「南極大陸」を毎週日曜夜にやっている。
この中で香川照之が扮する第1次南極観測隊長、星野英太郎のモデルとなった西堀栄三郎が著した「南極越冬期」(岩波新書)が本棚にあったと思い、20年ぶりに読み直した。 観測船「宗谷」から下ろされた荷物を昭和基地に運ぶところから本書は始まる。 万が一「宗谷」が迎えに来られなかったことを考えて、2年分の資機材を用意していたものの、ドラマでもやっていたようにかなりのものが、氷とともに流されてしまう。400本持って来た燃料のドラム缶は半分を失った。 風力発電機や観測に必要な理化学機器も流出。発電機や送信機も頻繁に壊れるのだが、廃物利用と創意工夫で乗り越える。 氷の中の塩分濃度を測る「コールラウシュ・ブリッジ」という測定機器はエボナイトの板やラジオの抵抗、テスターなどを使って作ってしまう。一事が万事、こんな調子である。昭和基地にいる隊員だけでなく、当時の人たちはみんなそうやって生活や娯楽に必要なものをこしらえていたのだろう。 それが昭和という時代。 「足りない」→「買う」という短絡的な平成の生活態度を猛省した。 彼らが南極大陸に出発した1956年は、「もはや戦後ではない」という経済白書の言葉が流行し、日本山岳会が標高8163mのマナスルに初登頂し、国際連合に加盟した年であった。ドラマでも描かれているが、復興から立ち直り、新生・日本として世界に追いつき、追い越せという国民的機運が高まっていたのだろう、と想像する。 西堀は南極観測の意義について記す。 「わが国の学術上の世界的地位からいっても、また、国の経済的な力量からいっても、このくらいのことはしなければ、国際的な信頼にそむくことになると思う。(中略)最後までやりぬかないで、途中で打ち切ったりして、国際協力の線からいつも落伍していると、外国からも思われ、国民もそういう劣等感をもつにいたることの方が、どれほど恐ろしいことかわからないと思う」 当時の国民の必死さがよく伝わる。 越冬期では、興味深い記述が登場する。 地質調査旅行でウラン鉱石を見つけるのだ。 それを昭和基地に持ち帰り、まずは硝酸を作るところからはじめ、溶かし、エーテルで抽出し、焼成してウランを取り出す。 第1次観測隊のミッションの中にウラン鉱石を見つけるというのがあったのかもしれない。西堀はこのとき、すでに日本原子力研究所の理事に内定している。そして「見つかるべきものが見つかった」と宗谷に電報を打っている。関心はあったのだろう。 日本は第二次大戦でABCD包囲網により石油の輸入が制限されたこともあって戦争に手を染めた。 資源やエネルギーの重みを痛いほど知っている世代だからこそ、原子力の平和利用を真剣に考えたのだろう。そのこと自体に罪はない。 けれども、南極大陸で、痛いほど自然の脅威を見せつけられた彼らが夢見た「原子力の平和利用」が、時を経て、自然の脅威によって再び国土の荒廃をもたらすとは何という皮肉であろう。 歴史は時として残酷である。 ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||