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この春、初めて単身赴任することになった。
赴任先は帯広市。小さな会社で社宅はない。先日、安アパートを探し、契約を済ませた。 札幌と帯広といってもべらぼうに離れているわけではないので、週末は自宅に帰ってくるつもりでいる。余市で借りているワイン用の葡萄畑の手入れもあるし。町内会の役員もそのまま続けさせてもらうことにした。昨年秋に道東自動車道の札幌帯広間が全線開通したので、急いでいるときは2時間半ほどで着くことができる。 最初の勤務地が帯広で、そこで妻と出会って結婚し、彼女の実家もあるので土地勘も人脈もある。暮らして仕事をする上では何の不安もない。残していく家族には申し訳ないが、楽しみですらある。 与えられた時間を無駄にせず、ランニングはもちろん、これまで中途半端に頭に入れていた英語とフランス語に磨きをかけたいと思っている。 いちおう家財道具を一式そろえなければならない。けれども5年も10年もいるわけではないはずだし、週末は自宅にいるので最低限のものを用意したいと考えている。 さいわい、実家で余っているほどよい大きさの冷蔵庫と二槽式洗濯機をもらえることになった。炊飯器は買わず、独身時代に使っていた文化鍋を持っていく(また出番があるとは思わなかった)。少しずつリストアップしているが、それでも細々したものはたくさんある。 妻はさほど感情を表に出すタイプのひとではない。無表情というほどではないが、突然の単身赴任にも淡々と受け止めてくれている感じだ。 そんな妻が、昨日、ぼくのご飯茶椀を割ってしまった。 洗い終えた後、服で引っ掛けたらしい。慌てて食器屋さんで新しいのを(娘によればかなり時間をかけて)買ってきてくれた。控えめな模様に彩られたわりとシンプルで軽い茶碗だ。 「1つだけなの?」とぼくは訊いてみた。 「あ、そっか2ついるのか…」 そう言った妻の声が少しだけ寂しそうに聞こえた。 おんなのひとって気丈だな。 白いご飯の湯気がいつもより温かく感じた。
来年、小学校を卒業して30周年を迎える。
で、同窓会を開くことになった。 何人かで実行委員会を組織してまずは消息確認を進めている。 205人プラス先生が5人。これを探すのがめっぽう大変である。 もともと北海道開発局やら日立製作所、三井物産、味の素などの社宅が立ち並ぶ地域で転勤族が多い。まちの新陳代謝も著しい。当時、実家があった場所は更地になったり、引っ越したりで、なかなか探せない。それでもみんな、どこかでつながっているようで、白い名簿が少しずつ埋まってきた。ちょっとびっくりするほどである。 開催は9月15日。ひょっとして卒業生全員が一本の糸でつながるのではないか。ぼくはそんな期待もしている。ちょっとした奇跡の気配を感じる。 小学生のころ、ぼくはめっぽう友達が少なく、同窓会があっても声はかからないだろうと思っていたが、案外ぼくのことを覚えてくれていたことに驚いた。 面倒なのは先生方である。 5人いる担任の先生はS先生1人しか消息が分からない。 先日、教育委員会の人事係に電話をしてみた。やはり個人情報が障壁で、現役で教師をしていれば勤務先は教えられるとのこと。結局、当時、新任教師としてぼくらの学校に就いたS先生しか分からなかった。 あとの4人はどうしているのだろう。 インターネットで検索してみたら、同姓同名の先生が別管内の小学校で校長先生をしていた。もしや、と思ってその小学校に電話をしてみたら別人だった。インターネットは便利だが、「おれ、あいつのこと知ってるぜ」という情報のほうが意外に確実だったりすることがわかる。 いちおう当時の卒業アルバムには、○条○丁目という簡単な住所と電話番号が記されている(記されていないクラスもある)。個人情報保護法の関係で、現在だとあり得ないだろう。 ちなみにぼくが高校1年生のときのクラス名簿には氏名・住所、電話番号に加えて親の勤務先まで入っていた。ま、これはやりすぎだろうけど。 さて、いまの時代。 娘たちの学校でも渡されるのは連絡網の電話番号だけで、住所一覧は配布しない。そろそろ年賀状の季節なので、ある先生のところに住所を尋ねに行ったら、やんわりと断られたという。なんだか寂しい世の中である。 今の子どもたちが30年後に同窓会を開くのは大変だろうな。
ポール・モチアンが亡くなった。
いま、ビル・エヴァンスTrioのMoon Beamsを聴きながらこれを書いている。 慎ましいドラムのプレイが耳に響く。あぁ、死んでしまったのだ。 リバーサイド時代のビル・エヴァンスTrioといえば、スコット・ラファロのインタープレイが際立つ。その色濃さをほどよく薄めるのがポール・モチアンだった、とぼくは思う。 My Foolish Heart(Waltz for Debby)の、叩くでも叩かないでもない存在感。 Gloria's Step(Sunday at the Village Vanguard)の、ラファロに寄り添う静謐な音楽。 この時代のビル・エヴァンスTrioが支持されるのは、それぞれの個性がほどよい黄金比率で混ざり合っていたからなのだろう。 ポール・モチアンは享年80歳だった。 長生きするジャズマンは可哀想だとぼくはずっと思っている。 一期一会のアドリブがCDで克明に記録されるのはある意味で残酷だ。 その音楽の行間に、奏者の生々しい心情も刻まれるからだ。 音楽の歓びとともに、哀しみも抱えながらジャズマンは生きる。 このような思いに浸るとき、ぼくはいつもマックス・ローチのことを考える。 ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、チャーリー・ミンガス。 多くの共演者が往った。そして自身は2007年まで長生きした。 ソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサスの録音は、盟友・クリフォード・ブラウンが悲運な交通事故死に遭った4日後。ぼくはこのアルバムのStrode Roadに、やるせない哀しみとそれを打ち消したい力強さが同居しているのを感じる。 長生きすることは、その分、哀しみを背負って生きること。 その哀しみから解放されたポール・モチアンのドラムをしばらく静かに楽しみたい。
三谷幸喜監督の「ステキな金縛り」を観た。
142分は「長いかな」と思ったが、あっという間だった。笑いの涙でハンカチを濡らした。 三谷作品の映画はそれほど好きではない。といっても4本しかないのだが。 ストーリーに方向感がないというか、笑いをとる勢いが余って話が迷走してしまうという印象が強い。短編小説のノリで長編を書いているかのような息切れ感と冗長感がある。 けれども今回の「ステキな金縛り」は、裁判で無罪を勝ち取るというゴールがはっきりしているので、映画の世界に入りやすかったし、プロットもしっかり作り込んでいて退屈はしなかった。あえて注文をつけるとすれば、裁判員裁判なのだから、そこのところのからみがあってもよかったのに、と思った。編集で削られたのかもしれないけれど。 この映画で「すごいな」と思ったのは、美術監督・種田洋平氏の仕事ぶり。 「悪人」とか「フラガール」とか、「キル・ビル」を手掛けている。タランティーノ監督の自邸も設計(デザイン?)したらしい。 タイトルロゴや法廷のモザイク、「しかばね荘」、そしてここの旅館のマークなど、「ステキなデザイン」でまとめあげている。「しかばね荘」のマークが出るのはほんの数秒なのだが、この映画で最初に笑ったのがここだ。 三谷幸喜と清水ミチコによるJ-WAVEの「Making Sense」という番組が好きで、毎週ポッドキャストで聴いている。 映画封切り直後、舞台あいさつでのトークがそのまま配信されたのだが、ネタバレトークの連続で(なにしろ見終わったお客さんを相手にしゃべっている)、あわてて消してしまった。 この2人は悪くないのだが、J-WAVEさんは減点でしょ、それ。
ぼくは、といえば、TPP参加には反対だ。
まず、やはり農業問題。 世界の人口が70億人を越え、これから世界は長期的に、かつ緩やかな食料危機の時代を迎える。 文明は「安全」「食料」「エネルギー」のいずれかを失ったときに滅びるという(注2)。 食料安全保障上、自国の食糧は自国でまかなうのは当然である。国民の生命と財産を守るのは国家の役割だが、「生命」か「財産」のいずれかであれば、まず「生命」を守るのが重要だろう。世界中が定期的に大きな気候変動に見舞われ、オーストラリアで小麦が穫れなくなったりすることもある。アメリカだって干ばつや土壌破壊が進んでいる。 持続可能な農業を堅持し、一定の食糧自給率は確保しなければならない。今は自給率が5割を切っていても人口が半分になる100年後には自動的に100%になるという考え方もあるが(注3)、農業の就労人口も減るということをまるで考慮していない。 もちろん、海外の安い農産品が入ったからといって、日本の消費者の大半が価格だけで海外産を選ぶとは思わないが。 TPP交渉に反対する第二の理由は、今の日本の外交能力と官僚機構では歯が立たないと思われるからだ。 他国と経済交渉をする際には、自国の何を守り、何を譲り、何を勝ち取るのかをしっかり考えるのが必須条件だという(注4)。そして最低でも51対49で交渉を勝ち得るのが大切なのだそうだ(注5) ある程度の勝算を見込んだ上でテーブルに乗るのが交渉の定石だろう。 外務省のホームページをみると、我が国が確保したい主なルールや慎重な検討を必要とする可能性のある点が列記されている。農産品や政府調達、医薬品、知的所有権など交渉のハードルが高そうなものはたくさんある。連戦連敗を続けている対米経済交渉にどの分野で勝てるというのだろうか。なでしこジャパンのように、対米戦で負け続け、W杯決勝戦で初めて勝つような奇跡が起こせるというのか(注6) 官僚機構は、事業の継続性を重視する。なので縦割りがあるのは当たり前だ(注7)。TPP交渉に当たって利害関係の異なる省庁を外務省がまとめきれるのだろうか(注8)。個人プレーに走ってしまい、チームとしては負ける野球みたいにならないのだろうか。 大見得を切って試合に挑み、こてこてに負けて帰ってくる―そんな気がしてならない。 そもそも、GDPも成長力も商慣習・法慣習も労働生産性も異なる国が10カ国も集まって例外なき包括的な貿易ルールをつくる必要があるのか? リーマンショックの反省に立って新自由主義に基づくグルーバリズムを改め、多様性を重視するローカリズムが評価されつつあるというのに(注9)(注10)。 (注1)新聞などでよく見かける数字だが、出典はどこなのだろう (注2)「幸運な文明」/竹村公太郎/22頁 (注3)「日本はなぜ貧しい人が多いのか」/原田泰/182頁 (注4)「国家の命運」/薮中三十二/51頁 (注5)同上/120頁 (注6)これを奇跡と言わずしてなんという (注7)この際、経産省と農水省を統合してはどうだろう (注8)「外務省に告ぐ」/佐藤優によれば、本当にとんでもない組織にように目に映る。誇張が多いのだろうが、実名が出てきたり、よく訴えられないものだ (注9)なんとなく尻切れトンボみたいになってしまった。それだけぼくの中でもモヤモヤしている問題だということで… (注10)書かなければならない原稿が山ほどあるのにこんなものを書いている場合ではない
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